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はじめに
Studyplus編集部では、先日、こんな問いに対する答えを募集していました。
「水の色って何色?」「一定の理解ってどのくらいの理解?」
回答してくれたStudyplusユーザーの皆さん、ありがとうございました。
いずれも、パッと見ただけでいくつもの答えが出てきそうで、また逆に正解なんてなさそうな質問ですよね。いったい、どんな回答が集まったのでしょうか?
Q1.水の色って何色?
・どんな濁った色をしていても蓮の葉が1枚浮いているだけでその濁った色でさえ素敵な色に見えるし、逆に綺麗な湖でも気持ち悪い虫が1匹いるだけで濁った緑のような色に見えてしまう気がします。水の色はその時の状況や自分の気持ちで色が変わる、不思議だけど不思議なことが当たり前な色だと思います。
・空の色、部屋の中の色、コップの色。場合によってはその日の気持ちによっても色が違ってみえる色。キブンがいいときは透き通って見えるし、嫌なことがあるとくすんで見える。要するに、水の色はこうであると断定はできない水特有の「水の色」がある。
・"子供の頃に教えられた色。例えば空や海。私達は一般的に青色だよと教えられる。もし黄色だと教えられていたら黄色だと思い、友達も黄色だと教えられれば世界では黄色で通じる。ここで本題の水の色。物体の奥のものを見ることができるもの=透明と教えられたから透明だと思っている。そしてピンクのコップに入っていれば反射してピンクだと思ってしまう。結局は捉える人が教えられた色だと思う。
・水の色は透明だと思う。透明がどういう色かは説明できない。見渡す限り全てが透明の世界が存在したら、人は何色が見えるのだろう。海が青く見えるのは光の反射⁇
・水自体は無色で透明だが、水の内外の状況(例えば天気、光、水に含まれる何かetc)によって見える色が変わる…と考えました。
Q2. 一定の理解ってどれくらいの理解?
・『一定』と言われて想像する量は人によって違うから、その人の中での『一定』の量で理解できていることを指すのだと思う。私にとって一定の理解は、頭の中で理解の対象について整理することができるくらい。でもきっと友達にとっての一定の理解は自分の言葉で他の人に説明できるくらい、とか曖昧な部分があったとしてもなんとなく納得できるくらいとか私とは違うのだと思う。だから、『一定の理解』という言葉は使うときには気を付けなくちゃいけないと思う。
・教科書を読んで、分かった気になり、問題集を解いてみたら「あれ、俺、全然分かってないんだな」ってなるくらいの理解。 教科書を使って理解する時の範囲に制限されるけど。
・問題の答えを覚えること、ではありません。大切なのはその答えに「なぜ?」と言う疑問を持ち、その答えを知ることです。一定とはつまり、この「なぜ?」を持てるかどうか。
今回のように、答えのない問いを考えるために「自ら問いを立てる」ことは、思考の枠組みを学ぶ重要な機会になります。言い換えると、「答えありきではない考え方」や「既成の概念や、価値観、偏見にとらわれない考え方」を前提に問いを考える意識が重要になります。
そして、このような意識のもとで『想像力を働かせ、それを具体的に言語化する』ことを「リベラルアーツ的な学び」だということを、皆さんは知っていましたか?
学びの自由化。リベラルアーツって?
リベラルアーツとは、古代ギリシアの「人間がさまざまな制約から解放され、独立した自由な人格であるために身につけるべき学芸」ラテン語の「自由の諸技術(アルテス・リベラレス、artes liberales)の英訳」という概念を源流とするものです。
リベラルアーツは、現代社会の諸課題に対し一つの正解探しを前提にするのではなく、他者の意見を包摂しつつ思考の枠組みを活用してより良い「解」を模索し続ける学びの方法として高く評価されています。近年多くの日本の大学がリベラルアーツ教育を採用するようになったのはそのような理由があります。
もっとたくさんの「答えのない問い」を見てみよう!
さて、こんな風に世界には答えのない問いがたくさんあります。皆さんは、日本にあるリベラルアーツで学ぶ大学、国際基督教大学(ICU)を知っていますか?
問いへの答えは常にひとつだけでしょうか。世界を捉える視点はさまざまです。
ある問いに対して、あなたはどう答えますか。さまざまな学問分野から見たその問いへの答えは、どのようなものでしょうか。多様な視点を知り、新たな世界を発見してください。