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はじめに
高校卒業後、看護学校を中退して短大へ進学、さらにその後、国立大学へ編入したKさん。周囲の人間関係の変化とともに、ご自身も成長してきました。長編のインタビューとなっていますが、今、進路や将来に不安を持っている方は、ぜひ読んでみてください。
※掲載内容は取材時のものです。
今回の話し手
高校時代の教師との折り合いが悪く、受験を早く終わらせたいという思いから看護学校に入学するも不登校になり中退。その後、祖母の影響で法律を学びたいと短期大学に入学。そこで出会った同級生や先生たちのおかげで学びの楽しさに気づき、より研究を深めたいと考え、国立大学に編入する。
すべてをあきらめていた高校3年
私は、ある私立中学の演劇部に憧れて、受験してその中学校に入りました。ところが中学3年生のときに、はっきりした理由もわからないまま、演劇部が廃部になってしまったのです。
もともと集団行動が不得意だったこともあり学校自体あまり好きではなかったのですが、その一件でさらに学校に通うことが億劫になって。さらに学校生活だけでなく人生そのものも投げやりになってしまいました。
高校生になってからも勉強する気がまったく起きず、進路のことなんてどうでもいいと思っているうちに気がつけば3年生になっていました。
先生からは推薦で行ける私立大学をすすめられたのですが、先生とも折り合いが悪く、奨学金を借りて大学に行くのも怖かったし、国立大学を受験するには間に合わないし、と思って……。とにかく受験を早く終わらせたくて、当時、母が介護福祉士として勤めていたこともあり「もう看護学校でいいや」と半ば投げやりな気持ちで進路を決めてしまったのです。
「今思うと、私の気持ちに寄り添ってくれる優しい先生もいらっしゃったし、折り合いの悪かった先生もその立場から、ちゃんと私のことを考えてくれていたと思います」と話すKさん。しかし、こうした経緯で入学した看護学校には馴染めなかったといいます。
熱意のギャップを感じ、中退
入学した看護学校では、同級生たちの「看護師になりたい!」という熱意と、私のゼロに近いモチベーションとのギャップが大きくて居心地が悪く、3か月くらいで行くのをやめてしまいました。
そして、病院で適応障害の診断を受けて、しばらく引きこもり生活を過ごすことになります。その後、ふらふらとフリーターみたいなこともやっていたのですが、このままじゃいけないなと思い、そこで改めて進路について考え始めました。
そのまま就職して社会人としてやっていく自信もなかったし、高校時代の友達の充実した大学生活の話を聞いてうらやましい気持ちもあって、やっぱり大学に行きたいと思うようになったんです。
とはいえ、看護学校の学費で親にも迷惑をかけていたので、なるべく安いところ、そして、家から近いところという条件で学校を探しました。子供の頃から法律にも興味があったので、家の近くの、法律を学べる短大を受験することにしました。
おばあさんが裁判所の調停委員をやっていたこともあって、子供の頃から法律に関心が持っていたそう。そんな憧れの法律の世界は、想像していた以上に深いものだと知ることになります。
法律の世界は2年では足りない――4年制大学への編入を決意
短大の受験科目は国語と英語だけだったので、受験を決めた夏から勉強を開始して、半年間でなんとか間に合わせて、無事合格できました。
入学して勉強をすすめていくなかで 、法律の条文というのは「完成したもの」ではなく、時代に即して「変えていく必要があるもの」だと学びました 。そして、短大の2年間では、そうした知識を入れることだけでいっぱいで、より深く追求して考えるには時間が足りないことも知ったんです。
入学当初 は、4年制大学への編入のことなんて何も知らなかったのですが、短大の同級生にも編入志望の子が多く、また先生方に勧められたこともあって、本格的に大学編入という進路を検討し始めるようになりました。
編入先として、今の大学を選んだのは、家から近いこと、学費の負担が大きくはないこと、私が通っていた短大からの進学実績が豊富だったことなどもありますが、一番の理由は、一般推薦の枠を利用して受験することができたからです。さらに、私の研究したい分野の専門の先生がいたので、もっと専門的な勉強できるだろうと思ったことも大きかったですね。
短大で学ぶ楽しさに気づいたKさん。普段の講義の試験対策やレポート課題に追われながら、英語の勉強にも力を入れたことで、成績評価も良く、推薦を受けられることになったそうです。
面接対策はとにかく練習量!
編入試験の科目は、志望理由書の提出と面接でした。初めての経験で右も左もわからなかったので、とにかくたくさんの先生にご協力いただきました。ゼミの先生、法律の先生2人、経済の先生と合計4人の先生方に、それぞれ3~4回ずつ面接練習をしてもらいました。
最初はボロボロだったのですが、その面接練習を録音して、「何を聞かれたか」「どうやって答えたか」「先生からのアドバイス」をすべて書き起こして、キーワードを覚えていきました。話す内容の丸暗記だとド忘れが怖かったので(笑)。
その甲斐あって、なんと試験本番で聞かれた質問がすべて対策済みのものだったんです。威圧的な質問にはちょっとひるんだりもしましたが、しっかり答えて、合格できました。それはやっぱり直前まで回数をこなした成果だと思います。
これから面接対策をする人は、問題の傾向をしっかりつかんだうえで、先生などを頼って面接練習をたくさんしてもらうことが一番かなと思います。
短大時代は、先生、友達、先輩、後輩、事務員さん、図書館の司書さんまで、みんな本当にいい人だったと話すKさん。自ら殻を破ることでいろんな人に応援してもらえるようになったのでしょうね。
現役じゃなくても、自分らしくいることが大事!
短大では現役生とは2年の差がありましたが、私個人の経験から言えるのは、年齢は必ずしも隠す必要はない、ということです!
同級生に敬語を使われかけたりすることもあったのですが、自分が心を開けば、まわりもだんだん年齢のことなんかどうでもよくなっていくんですよ(笑)。
どれだけ規模の小さい学校でも、現役じゃない子って結構いるし、たとえ年齢が離れていても話が合う人はいるし、同世代でも合わない人は合わないので、あまり気にせずキャンパスライフを謳歌したらいいんじゃないかなと思います。
さまざまなことを乗り越えてきたKさんだからこそのあたたかいアドバイスですね。最後に、高校生のみなさんへのメッセージもいただきました。
不本意な進路選択をしてしまった人へ
もし、不本意な進路選択をしてしまったと思っても、それがあなたの人生において汚点や失敗だと断定できるかというと、決してそんなことはありません。
私自身は、進路選択の失敗から立ち直るのに2年くらいかかりました。最初は、ベッドから起き上がれない状態が続いて、親ともうまくいかないし、「なんでこんなことをしてしまったんだろう」と後悔ばかりしていました。
ですが、そういう“回り道”を経験したからこそ、結果的に納得のいく進路選択ができた今があるので、その“回り道”で得た価値観の変化や人生経験も、必ずしも無駄ではなかったなと今となっては思えるようになってきました。
なので、今つらい思いをしているあなたへお伝えしたいのは、第一に、いずれは私と同じように「この経験は必要なものだった」と思える日が来るかもしれないですよ、ということ。
そして第ニに、たとえそんな日が来なかったとしても、その経験にしかなかった発見や出会いがあると思うんですよ、ということ。
仮に失敗したと思うことがあっても、そしてそれを引きずっていたとしても、“行動”さえ起こしていけば、偶然によって人生の風向きが変わることもあるから大丈夫なんじゃないかな、と思います。私の場合、その“行動”とは、短大受験と、全力で短大生活を謳歌したことでした。
もし、“行動”も起こすことすらできないくらいに心も体も疲弊してしまっているという方がいらしたら、まずは“自分を許容する”ところから始めてほしいです。
「自己肯定感」という言葉がありますが、人生がうまくいっていないときに自分を肯定することってけっこう難しいんですよね。だから、失敗している自分を受け入れて、許すことから始めてほしいんです。
「そんなこと言われても、うまくいっていない自分のことを責めすぎてしまうんです」ということなら、とにかく心身を休めてほしいな、と思います。(もし頭から悲観的な思考が離れないということなのであれば、病院などの専門機関に相談するのも一つの手だと思います。)
人間はそれぞれに得手不得手があって、人生において休憩が必要な人もいれば、ずっとフルスピードで駆け抜けられる人もいます。
だから、もし今「皆と違って頑張れない自分はおかしいのではないか」と苦しんでいるのなら、「他人と比べるのではなく、過去の自分と背比べをして成長を楽しむ」という考えを持ってもらえたらと思います。