モチベーションが上がる名言【第二回】〜渋沢栄一の言葉〜

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はじめに

2024年に一新される予定の紙幣デザイン。そのうち、新一万円札の肖像に選ばれたのが、明治、大正、昭和にかけて活躍した実業家、渋沢栄一です。

近代日本資本主義の父を支えた「先憂後楽(せんゆうこうらく)」のモチベーション

すべての世の中の事は、もうこれで満足だという時は、すなわち衰えるときである。

(引用元:--渋沢栄一(実業家)『青淵(せいえん)先生訓言集』より)

『近世名士写真 其2』(国立国会図書館蔵)より渋沢栄一肖像。

渋沢は幕末、現在の埼玉県深谷市で生まれました。
生家は田畑の耕作だけでなく、藍玉(あいだま)の製造販売や養蚕(ようさん)事業も行う豪農で、幼少期から農業だけでなく商売についても経験を積んでいました。
また、従兄の尾高惇忠(おだかあつただ)からは、『論語』をはじめとした「四書五経」などを本格的に学びました。
尾高は後に、富岡製糸場(2014年に世界遺産に登録)の初代工場長を務めた実業家です。

今回紹介した渋沢の名言は、その後に「憂いある時は、必ず喜ぶべき現象を含んでいるものである。故に進んでも憂い、退いてもまた憂うというように、この憂いの間に過失を少なくせんことを要する」と続きます。

これは11世紀の中国の政治家、范仲淹の「先憂後楽」という有名な言葉に基づくもので、優秀な政治家は、世間の人より天下国家を「先に憂い」、世間の人が楽しんだ「後に楽しむ」という意味です。

日本の未来を見据えて前進し続け、民間の実業家として500以上の企業を設立

渋沢にとって、“憂い”は、むしろ率先して受け入れるべきものだったといえるでしょう。
これは受験勉強にも通じる考え方といえます。わからない問題があるとストレス(憂い)を感じるものですが、それを学び、理解することで学力は上がり、志望校への階段を一段昇ることができるのです。
学力向上のためには、むしろより多くの「わからない問題」が必要なのです。

明治初期、日本最古の銀行である「第一国立銀行」の創設を皮切りに、民間の実業家として、王子製紙、大阪紡績、東京瓦斯(ガス)など、500以上の近代的企業の創立と発展に尽力した渋沢。
上に挙げたほかにも、帝国ホテル、東京証券取引所、飲料メーカーのサッポロ、キリンなど、渋沢が創業にかかわり、現在も営業を続けている有名企業が数多くあります。

渋沢は、決して現状に満足することなく、日々の憂いの中で国家や社会のさらなる発展の可能性を模索することで日本の経済的発展に尽力し、今につながる近代日本の礎を築きました。
「先憂後楽」はまさに、日本の未来を見据えて常に前進を続け、さまざまな事業を成功へと導いた渋沢の人生におけるモチベーションだったと言えるでしょう。

プロフィール●渋沢栄一

天保11年(1840)生まれ、昭和2年(1927)没、享年91。雅号は「青淵」。
慶応3年(1867)にパリ万博使節団に加わり渡仏。明治元年に帰国し、政府の役人となる。
明治6年(1873)に大蔵省を辞して以来、実業家、慈善家、教育家として、数百の企業、社会事業団体、教育機関の設立に関わった。
大正5年(1916)の著書『論語と算盤(そろばん)』で、「道徳経済合一説」を提唱。大正9年(1920)子爵に叙せられる。

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