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はじめに
世界史って覚えることがいっぱいあって大変!
古代中国から近世の戦争まで、思わずこんがらがってしまうのもわかります。
この記事では、「世界史って大変!好きじゃない!」という人でも、「へ~こんなことがあったんだ!?」と世界史の勉強が楽しくなってくるような、世界史の1行雑学を紹介します。
たくさんの国々があるゆえに、なじみのない国にあまり興味が湧かないこともあるでしょう。でも、その国の意外な事実を知れば、案外歴史の勉強も楽しくなるかもしれませんよ。
それでは、今回は世界史にまつわる4つの1行雑学を紹介しましょう。
わずか40分で終わった戦争があった!?
戦争は、その決着まで時に100年以上かかるものもあるほど、長引く時は長引くもの。
その一方で、世界史の中では40分で決着がついてしまった戦争もあります。
それは、イギリスとアフリカのザンジバル王家の間で起きたアングロ・ザンジバル戦争。1869年に、インド洋に浮かぶアフリカのザンジバル島で起きました。
イギリスは17世紀から20世紀にかけて、世界中に植民地を持ち史上最大の領地を治めた大帝国でした。
アフリカに対してもさまざまな介入をし、領地を拡大。
その中でイギリスの保護国であったアフリカのザンジバル国(現在のタンザニアの一部)で、王の交代時に反英派の人物が即位したため、それを快く思わないイギリスが戦争を始めたのです。
戦局はザンジバル側の唯一の戦力であった古い戦艦を、イギリス側が圧倒的な戦力差ですぐに沈めてしまったため、開始から40分で勝敗が決まってしまいました。
なんともあっけない結果となってしまったこの戦争。現在は「史上最短の戦争」としてギネス認定もされているそうです。
その一方で、世界史の中では40分で決着がついてしまった戦争もあります。
それは、イギリスとアフリカのザンジバル王家の間で起きたアングロ・ザンジバル戦争。1869年に、インド洋に浮かぶアフリカのザンジバル島で起きました。
イギリスは17世紀から20世紀にかけて、世界中に植民地を持ち史上最大の領地を治めた大帝国でした。
アフリカに対してもさまざまな介入をし、領地を拡大。
その中でイギリスの保護国であったアフリカのザンジバル国(現在のタンザニアの一部)で、王の交代時に反英派の人物が即位したため、それを快く思わないイギリスが戦争を始めたのです。
戦局はザンジバル側の唯一の戦力であった古い戦艦を、イギリス側が圧倒的な戦力差ですぐに沈めてしまったため、開始から40分で勝敗が決まってしまいました。
なんともあっけない結果となってしまったこの戦争。現在は「史上最短の戦争」としてギネス認定もされているそうです。
(イギリスの砲撃を受けたザンジバルの建物)
『パンがなければケーキを食べればいいじゃない』は誤解!?
「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」――。
浪費家で有名なフランス国王ルイ16世の王妃・マリーアントワネットが、困窮する民に向けて放った言葉として広く知られる文言ですね。
しかし、実はマリーアントワネットがこの言葉を発したという確かな記録は残っていないのです。
この怪情報の発信源は、どうやらフランスで活動した啓蒙思想家であるジャン・ジャック・ルソーの著作にある一節のようです。
彼の著作である『告白』の中に、「ある王女が『百姓どもは食べるパンがありません』と言われて、『ではブリオッシュ(菓子パンのこと)を食べては?』と応じた――」という一節があります。
ここに書かれた「ある王女」がマリーアントワネットだとは、どこにも記されていません。
それどころか、この書が記されたのは彼女がフランス宮廷に入る前のことだったのです。
本当にマリーアントワネットがこの言葉を発したかどうかはわかりません。
あるいは、後世の人によってゆがめられて伝わってしまったのかもしれませんね。
そういう意味で、もしかしたら彼女は風評被害を受けた「悲劇の女王」だったとする説もあります。
浪費家で有名なフランス国王ルイ16世の王妃・マリーアントワネットが、困窮する民に向けて放った言葉として広く知られる文言ですね。
しかし、実はマリーアントワネットがこの言葉を発したという確かな記録は残っていないのです。
この怪情報の発信源は、どうやらフランスで活動した啓蒙思想家であるジャン・ジャック・ルソーの著作にある一節のようです。
彼の著作である『告白』の中に、「ある王女が『百姓どもは食べるパンがありません』と言われて、『ではブリオッシュ(菓子パンのこと)を食べては?』と応じた――」という一節があります。
ここに書かれた「ある王女」がマリーアントワネットだとは、どこにも記されていません。
それどころか、この書が記されたのは彼女がフランス宮廷に入る前のことだったのです。
本当にマリーアントワネットがこの言葉を発したかどうかはわかりません。
あるいは、後世の人によってゆがめられて伝わってしまったのかもしれませんね。
そういう意味で、もしかしたら彼女は風評被害を受けた「悲劇の女王」だったとする説もあります。
(『マリー・アントワネット』 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン画)
電球を発明したのはエジソンではない!?
現在の私たちが使う蛍光灯やLED電球が普及する前は、電灯といえば白熱電球が一般的でした。
この電球の発明者をエジソンだと思っている人が多いのですが、実はこれはウソ。
本当の発明者はイギリスの物理学者であるジョセフ・スワンなのです。
この電球の発明者をエジソンだと思っている人が多いのですが、実はこれはウソ。
本当の発明者はイギリスの物理学者であるジョセフ・スワンなのです。
フィラメント、そしてフィラメントを包み込む電球の開発は、19世紀後半にスワンが初めて成功しました。
その後1877年にエジソンが電球の開発に参入し、その特許を購入したうえで開発をしていたのです。
2人は何度か電球開発の特許をめぐり法廷で争いましたが、結局は協力して「エジソン・スワン電灯会社」を立ち上げ、電球製作を行っていたそうです。
エジソンが発明者とよく誤解されるのは、彼が本当の発明者であるスワンよりも宣伝上手だったからなのかもしれませんね。