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はじめに
【お茶は世界を揺るがした悪魔の飲み物!?】
勉強や仕事の合間に、ちょっとひと息したいときに飲む一杯のお茶。爽やかな香りが、疲れた心や体を癒してくれますよね。そんな誰からも愛されているお茶ですが、じつは歴史の舞台裏で暗躍していたことをご存知ですか?
日本茶も紅茶も中国茶も茶葉は同じ
15世紀からはじまった大航海時代に、ヨーロッパの国々がアメリカ、アジア、アフリカの各大陸に乗り出したことで、世界が経済的につながりました。
その結果、遠く離れた国々が経済などを通じて影響を与え合うようになりました。
たとえば、日本の銀はヨーロッパの領主に大打撃を与えました。
16~17世紀ごろの日本は世界有数の銀の産出国でしたが、日本とアメリカ大陸の銀がヨーロッパに大量に流入したことで、ヨーロッパの貨幣価値は下落し、物価が急激に上昇したのです。
領地の地代が収入源だったヨーロッパの領主たちは経済的に苦しみ、没落していきました。
このように歴史上でさまざまな国に影響を与えた代表的なものとしては、茶があります。
茶というと、日本の緑茶、西洋の紅茶、中国のウーロン茶などを思い浮かべるかもしれませんが、これらの茶の茶葉はどれも「茶の木(チャノキ)」という木からとれます。
製法が違うだけで、同じ葉から茶葉を作っているのです。
もともと茶は中国で薬として飲まれていました。
960年からはじまる宋の時代には、日本を含めた中国の周辺にも茶を飲む習慣が広まったといわれています。
茶はヨーロッパにも広まります。
16世紀には中国を訪れたポルトガル人が茶を飲み、17世紀以降には茶がヨーロッパでも飲まれるようになります。
イギリスでは、宮廷から庶民まで幅広い階層の人々が茶を楽しみました。
茶の輸入がきっかけで起きたアヘン戦争
イギリスは中国から茶を輸入していましたが、茶がきっかけとなって戦争も起きます。1840年のアヘン戦争です。
当時の中国の清とイギリスの間では、貿易が行われていました。
イギリスで茶を飲む習慣が広まっていたため、清の茶を大量に輸入。
それに対して、イギリスの綿製品は清で売れず、イギリスは貿易赤字になってしまいました。
赤字を解消するため、イギリスは自分の植民地であるインドを加えて、イギリスと清とインドで取引する三角貿易を行いました。
三角貿易で麻薬であるアヘンが中国に持ち込まれます。
イギリスは三角貿易で儲けますが、清は自国の銀がイギリスに大量に渡って財政難となります。
また、アヘン中毒者が増えて風紀も乱れました。
清はアヘンの輸入を禁じますが、イギリスがこれに反発したことでアヘン戦争が勃発。
イギリスは大勝し、清は惨敗します。清の敗北は列強諸国が中国大陸に進出するきっかけとなってしまいました。
アメリカ独立のきっかけもお茶だった
茶はアメリカでも歴史が変わるきっかけとなります。
イギリスの植民地だったアメリカで1773年にボストン茶会事件が起きたのです。
当時のアメリカではイギリスと同じように紅茶が普及していました。
ところが、イギリスが東インド会社に茶の独占販売権を与え、茶の価格を釣り上げ、重い税金をかけたのです。
怒ったアメリカの人々は停泊していた東インド会社の船を襲い、積まれていた紅茶をボストンの海に投げ捨てました。
この事件はアメリカ独立戦争のきっかけとなりました。